田島伸二のブログ-Tajima Shinji

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zoom RSS 軍事政権下のミャンマーで推進した基礎教育改善のための民主的なプログラムーミャンマーに春が来る

<<   作成日時 : 2012/11/20 14:16   >>

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.2001年から2007年まで6年間にわたって、私はミャンマーのヤンゴンで、JICAの基礎教育改善計画に教育専門家のアドバイザーで参加しました。これは実は、ミャンマーにおける民主化を促進するための基礎教育改善計画でした。教育省や教育大学の教師養成に協力して行う非常に刺激的で創造的なプログラムでした。

20数度、私はミャンマーに行きましたが、。それは教育省や教育大学の実際的な教員研修とともに分厚い教員指導要領や70点にのぼる副教材の開発ー紙芝居やポスターなどを製作する活動を行っていたのですが、・・こうした活動が少しでも、ミャンマーの春に役立ったかと思うと本当に嬉しいですね。 今もミャンマーの多数の友人から、たびたび招請を受けますが、嬉しい事です。厳寒の冬にさまざまなことを準備していたことが実ったのですから。これはミャンマーでのある日の日記です。





「ミャンマーに春がやってくる」

2006年6月23日(金曜日)

今日は、シャン州のタウンジーにある第4高校の会場では2つのセッションを、第1高校での会場では3つのセッションを行った。今日は、私の通訳がどこかの高校に教育長と一緒に行ったので、なんの気兼ねもなく自由にのびのびと話ができたのは実によかった。政府から派遣された通訳は、私の発言を逐一、当局に報告しているからだ。

「ミンガラバー。こんにちわ。今日はみなさんは、一昨日、お願いしたように、近所に生えている自然の豊かなシャン州の薬草やハーブについて、現物とともにたくさんの知識や情報を持ってきたと思いますが、それらの知識はあなたの両親や祖父母などが持っていたものですね。でも両親や祖父母たちも彼らの両親や祖父母から言い伝えで聞いてきており、そうやって考えていくと、こうした知識はシャン州では何百年も前から伝わってきたとも言える貴重な口承伝承なのです。生活や人生の智慧がいっぱい詰まっているのです。ですから文字で表現された本だけでは、その社会の価値はわかりません。

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あるとき、私はパキスタンの山岳地域で、3千もの言い伝えを知っている老人の語り部に会ったことがあります。彼は「このごろ若いものは、誰も私のしゃべることに耳を傾けてくれない。」と嘆いていました。「みんなテレビに熱中して、若い者は話を聞いてくれないんだ」と、いうのです。しかし考えても見て下さい。もし彼が亡くなってしまうと、なんと3千にものぼる貴重な話や体験がこの地上から消えてしまうのです。確かにテレビはおもしろくて刺激がありますが、何百年も代々伝えられてきたそれぞれの口承伝承は、テレビでは表現できないぐらい大切な人間の生活体験を伝えているのです。

今日は、そうした口承伝承をどのように生かしていくかという授業を行いましょう。これはまず身近な家族の中のおじいちゃやおばあちゃん、そして両親や近所の物知りの人の薬草体験に耳を傾けましょう!彼らも若い人に話をすることによって生き甲斐を感じますから。教育というのは、さまざまな世代と深いコミュニケーションを作ることなのです。学びの場は学校の場だけでなく、家庭にもコミュ二ティにも存在しているのです。これらの授業は、簡単にあなたたちの学校のクラスの中でいくらでもできます。4学年、5学年の子どもたちはいくらでもそれをできる能力をもっています。

シャン州の豊かな山々に生えているさまざまな薬草は、医学の発達した現代でも実に貴重なものです。現代医学でも治らないような病気でも治癒させる働きをもっているものがたくさんあります。口承伝承をきちんと記録しながら再生していくこと、自然のなかから伝統的な薬を見つけ出すことーそれは21世紀のサイエンスの課題でもあるわけです。」とそのようなことを語ったがみんな深くうなずきながら聞いている。「また他のセッションでは、「おもしろい話」や「災害にあった話」などを聞きだして、それを書き出して本にしています。

「薬草の話」だけでなくこのようにさまざまなテーマでも同じように本を作って、皆でこれを利用できるのです。ところで、本には表紙というものや目次やページなどがありますね。それをつけてください。そして最後のページには必ず、グループ名と参加者全員の名前を記して下さいね。それは大切な記録になります。これを写真にとってCDで残してみんなにもいきわたる様に努力してみます。これはみんなにとっても貴重な自然のリーソースなのです。そしてみんなの協力で作り出した本を教室で実際に使うのです。」

そういって話をしたら、みんな発奮してものすごい勢いで薬草の本作りにとりかかった。そのとき通訳の女性と一緒に、一人の年配の教師がいかにも低姿勢でヒヤシンスのような植物をもってやってきた。そして私に向かってミャンマー語でなにかをしゃべった後、球根のついた植物を私に差し出した。私はなんのことかわからないので女性の通訳に「どういうことですか?」というと「この教師は、あなたに球根を差し上げたいと言っています。「この球根を半分に切って、その汁を頭につけてください。あなたの髪の毛が1本1本元気にはえ始めくるそうです。実証済みだそうですから・・・どうぞ。」とのこと。

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ハハハハハハ・・・・私の薄くなった禿げ頭を気遣ってくれたのだ。大笑いもいいところだ。そこで早速、私は、それを目前で半分に切って、頭にこすり付けてみた、するとなんとなく毛髪が生えてくような気がするから、シャン州での「薬草の本」作りのセッションはなんとも言えずおもしろい。通訳も交えてみんなで大笑いしながら、ひそかに「ひょっとしたら本当に生えてくるかもしれない。なにせシャン州の山奥から採集したものだから・・・」と期待しながらも頭に手をやって大笑いしたワークショップであった。夕食時に連れの一人が、「再度こちらへくるときには、ひょっとするとあなたの髪の毛がふさふさしているかもしれませんね。」というので「そうであればいいがね・・・いや、もしかしたら髪の毛が一本もなくなってツルツルの頭になっているかも・・・・あの教師が、「あとから、すみませんでした。薬草を間違えました。頭髪が落ちてしまう植物でした。」と報告してくれても手遅れだからね。」と言って二人で大笑いしたものであった。

第4高校でも第1高校でも「薬草の本」作りを指導した。ワークショップに参加しているだれもがこの薬草の本作りが楽しくてしょうがない、人生で一番感動したというような熱っぽい顔をしている。

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今日の「薬草の本」作りのワークショップは、ミャンマーシャン州では初めての試みで、あったが実にユニークな授業ではないかと思う。実に膨大な体験を集めていくことを意味しているからだ。こうした授業などは全く存在しないだけにまず(1. 薬草の名前、2.薬草が採集された場所、3.薬草の効能、4.その効能や体験したことをどのようなソース(父や近所の物知り、あるいは本から)から得たか、あるいはその薬草で助かったような体験記など)第一のセッションの部屋でそれぞれ参加者が持ち寄った薬草はものすごい量と多様なシャン州のハーブを参加者が吟味しながら議論しているのを目にしたときに痛感した。

要は彼らが自信をもっていることから、CCA(子どもの体験、欲求、想像力を元にした教育方法)から始めることなのだ。みんなA4用紙に薬草などをセロテープなどを使って次々と貼り付けていく。そして本が誕生していく。その嬉しそうな表情には驚かされる。その感動を彼らは、自分の学校に帰ったときに生徒を大勝に必ず行うに違いない。教師自身が感動すると、必ず自分の学校でも実践してみたくなるからだ。要は授業の中に教師と生徒の感動をどうやってつくっていくかということなのだ。
ワークショップはこのような微笑ましい形で進み、全体会ではそれぞれのグループが自信満々で、表情豊かなグループ報告を行った。

時々あちらこちらにじっとこちらを見つめている視線を感じる。なかなか恥ずかしい。参加者はほとんどが女性だからだ。中には男性もいるが、男性たちは非常にいい表情をしている。あと第4高校の違うセッションでは、「おもしろい話」作りと「災害の話」、の二つをやり全部で17冊の本が誕生し、今日のワークショップはなんとかうまくいった。詳細に見て行くと課題も多々残ったように思えたが、ワークショップをやっているとき、そして終えたときの参加者の嬉しそうな顔を忘れることができない。そして各グループの発表が始まったが、驚いたことにだれも自分の書いたエッセーの文章は読もうとはしない。その話をすべて、身振り手振りで語ってしまうのだ。だから文章を書いて発表するというよりも、「物語を語る会」になってしまう。「おもしろい話」という課題を出したセッションのところも同じことで、彼らは自分の書いたエッセイの「物語」を読むのではなく、ひたすらに語った。彼らの語り口は熱を帯びてすさまじいものだ。

その語りかたは、東京の図書館での「語りの会」のように理路整然としたものではない。感情をすべて吐き出すように身を乗り出して語るのだが、聞く方も真剣だ。みんなその世界に引き込まれた表情でいちいち大きくなずいている。なるほど、口承伝承が生きている世界はすごい・・・・と思いながら、「災害の話」を出したセッションのところに戻ってみると、なにかこのクラスの様子が変だ。まず発表者がハンカチで涙を拭きながらしゃべっている。目にはいっぱい涙を浮かべているのだ。そして会場をみると参加者の40名ぐらいもほとんどの者が涙しており、中にはうつむいて顔をあげない者もいる。先ほどの威勢がよかったように見えた他の講師までも涙ぐんでいる。

「いったいどうしたんだろう」と思っていたら、通訳が戻ってきてすぐに理由を語ってくれた。それによると彼女が発表したのは実話の悲劇であったそうで、自分の娘の身の上に実際に起こったことであった。彼女は警察官の夫と3歳の一人娘で暮らしていたが、あるとき3歳の娘が近所で遊んでいて、地中から掘り出されて箱に入れてあった爆発物を玩具にして叩いて遊んでいたところ大爆発し、体中に爆薬の破片が突き刺さったのだという。娘は一命はとりとめたものの雨季になると、彼女の眼球が外に飛び出すという。そのためしょっちゅうそれを目の中に押し戻したり、体中に突き刺さった破片で激痛が走るとのことであった。現在、娘は5歳であるが、手術には耐えられない状況なのでもう少し元気になるのを待って再手術するという。あらましはこういう実話であった。


発表者は、実の母親だったので娘の身の上を語った話にみんなもらい泣きしたというのだが、それにしても、みんな語るのがうまい。そう・・この世界には語りがまだ生きているのだ。エッセイに書くよりもすべて語ろうとするのだ。日本のどの教師がこれだけ感動的に語れるであろう。最終日には、こうした彼らの物語がぎっしりと詰まった17冊の本を受け取り、私は心から感動した。そして二つのセッションでは約15冊にものぼる「薬草の話」の本も見た。これが豊かな自然と伝承の生きているシャン州での彼らの生きる姿勢なのだ。創造性の原点はどこにでもある。

閉校式では、みんな素朴な態度で、しかも美しい大勢の教師たちが少数民族の歌や踊りを楽しく披露してくれた。日曜日の休みもなく、たくさんの課題を苦なく果たしていった小学校の多数の麗しい教師たち。最初の緊張からも解き放たれてワークショップを楽しみ、最終日には誰も彼もが別れを惜しんでいた。

長年の軍事政権により、さまざまな抑圧が存在する中でも、各地域の特性を生かした授業の実践は、確実に教師の胸に届いていくものだと実感したワークショップであった。と同時に、教育とは、教師たちの”自由な表現”によって、無限の可能性があることを感じさせたワークショップでもあった。こうした教授法の積み上げが、2001年以来、全国各地の教育大学を通じて行なわれており、こうした自由な授業の創造こそ、軍政による閉塞された暗記教育の世界から子どもたちの思考や想像を自由に解放していくに違いない。

ワークショップの期間中、教員の目は、新しい授業に向けて、真夏の太陽のようにきらきらと輝いていた。それはそれは、まぶしかった。かれらこそ「ミャンマーの”自由”と”創造”の未来を作る原点になっていくに違いない。長い冬を通り抜けて軍事政権を崩壊してしまう春がやってくるのだ。

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 初めて紙芝居を見る子どもたち

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