田島伸二のブログ-Tajima Shinji

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zoom RSS 子どもたちへ物語ることの意味と絵本の役割ー被災地で感じたこと

<<   作成日時 : 2012/03/03 13:28   >>

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物語には、どのようなメッセージがこめられているのでしょうか。絵本の役割というものはなんでしょう? 本は人が体験したこと、考えたこと、あるいは集積したことの情報や知識を集積した情報箱ですが、この箱から、人は過去の人々が経験した無数のことを取り出したり、あるいは新たに考えたりして未来へと繋げてます。人と人の絆をつくり出したりします。そして絵本は、言葉とともに絵をともなって、感動的な世界をつくりあげています。

しかし、本とともに、生の実際の経験や体験の力というものはとても大きく、こうした生の体験は、感性を作り出している源です。宮沢賢治のことをお話しますと、彼は三陸大地震という未曾有の大地震と大津波が襲来した1896年に生まれ、27歳のときには関東大地震、そして1933年の昭和大地震が起きた年になくなっている世界的な詩人・童話作家です。彼が生きた時代とは、日清・日露戦争もあった激動的な時代ですが、彼はこうした時代の喜怒哀楽をすべて背負って生きていたように思うのです。彼の作品には、その厳しさや悲しさや希望を持つことの重要さなどが、たくさんの物語となって表現されています。彼の痛切な時代と生き方の表現した作品から多くのことを学ぶことができます。作品の多くは絵本にもなっています。体験が豊かな言葉や想像力を生み出していったと思うのです。



私は、昨年の3.11の大震災のあと、5月と6月に福島県のいわき市でボランティアをしたあと、宮城県や岩手県の被災地を訪れたことがあります。被災地では言葉にもならないような惨状を見て実に大きな衝撃を受けました。宮沢賢治も、おそらく幼いときから、東北地方の津波や津波の惨状に接して、子ども心にも大変辛い体験をしたと思いましたが、とくに津波のあと、東北では大飢饉が発生して大勢の人々が亡くなっていました。歴史をたどると、当時は大津波のあとには決まって大飢饉が起こり、江戸時代にはたくさんの飢饉塚が東北地方に残っているのです。宮沢賢治の生家の近くにもこうした飢饉塚がたくさんあります。痛切な悲しみや苦しみの体験の中から、彼の作品が生まれたことは「雨ニモ負ケズ・・・」という詩の中にも表現されています。

・・・・・・・・・・・・・・
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こうした背景にある痛切な経験こそが、宮沢賢治のような豊かな想像力や創造性を作り出したのではないかと思います。実に自然の力や人間の力を身をもって教える経験や惨禍を通じて、人々は悲しみながらも、学び、鍛えられ、育っていく力になるものではないかと思いました。その根底には、頭の知識ではなく、五感全で受け止めることが必要です。子どもたちをただ本の好きな子どもたちに育てるのではなく、生きる現場で豊かな感性をもった子どもたちがたくましく育っていくことが今、最も必要ではないかと思います。それには誰にもリアリティ(現実)感というものがものすごく重要です。

お話しするときにも、例えば広島の原爆震災の現場で拾った瓦を、子どもたちに見せ、当時の体験話をする。あるいは本で読んだことを実体験と重ねて語ってみる。たった一枚の原爆瓦や絵本をきっかけにしてスタートさせる物語は、どれだけリアリティをもって子どもたちに訴えかけていくでしょう。彼らは生涯忘れないだろうと思います。それは子どもたちの感性を大きく開く起爆剤になるのではないかと思います。瓦が表現するリアリティ感がとても重要なのです。それはあらゆる事物がもっている叫びです、また別の機会には、物語の中で歌われた歌を歌ったり、あるいいはそのなまなましい音を鳴らして、そのおもしろい音から物語を発展させていく。たったそれだけのことで、子どもたちは物語を忘れないものです。文字や絵と同時に五感をフルに使った表現も必要なように思います。

絵本は、文字や絵を通じて、子どもたちは視覚的に多くのことを楽しく感じさせ伝えていきますが、そこへこうした実経験を加えることで、さらに実感を強く想像力をたくましく伝えることとができるのです。これは本好きな子どもだけはなく、経験から本の世界を誘い、本からまた豊かな経験を形成していくなど、本と経験を交互にくり前して続けていくことが重要なように思います。


現実を見せることの大切さ

昔から伝わっている民話は、もともとはすべて口承で伝わってきたものですが、その中から文字にして物語となって本の形態で出版されているのもありますが、大半は文字化されていないものがほとんどです。そして民話には「めでたし、めでたし」といった結論がいつも幸せなものや勧善懲悪といったものばかりでなく、現実的で、よくわからない、あるいは全く結論の出ないような話も多く含まれています。そういった話も当時の大人から子どもたちへなにか重要なことを伝えたい現れだと思います。過去のいろいろ伝承の中からも、あらゆる知恵や体験を発掘して受け止めていくことが大事です。絵本の世界にも、いろいろな物語があります。楽しいものや甘いものばかりではない。辛かったり酸っぱかったりの世界で、いろいろな世界に触れていくことが、子どもたちの多様な価値観を養うことにつながるのではないかと思います。

今日は、私の創作体験からいくつかの物語をお話してみたいと思います。太平洋での放射能汚染を海亀という生物の目から描いた「大亀ガウディの海」(東京、ディンディガル出版)は、実は40年前の学生時代に執筆した物語で、インドのラマチャンドランという有名な画家が60枚の絵を描いてくれた絵本です。アジア地域では、すでに15カ国で翻訳出版されていますが、物語は私が書いて、絵は海外の画家が描くという創作絵本です。いわば国境を越えた共同作業を行なったものです。現代の最も難しい課題を、ラマチャンドランさんは、インドの伝統的なマンダラという形式で色彩豊かで、深く哲学を含んだものに仕上げています。汚染の海で、大亀がなにを考えていたのか、知ることが出来るかもしれません。コンキチの物語をお話します。この物語の題名は「さびしい狐のコンキチ」。日本では出版社が倒産したので、現在は絶版になっていますが、アジアの国々ではほとんどの国で読まれています。

「深い雪山に住む一匹の子キツネが自分の将来を憂えていました。狐たちの住む山や森が人間の手によって、乱開発が進み自然が大きく壊されてしまったのです。子キツネは、自分の将来に不安を感じ、「お母さん、もうキツネで暮らすのはいやだ。人間になりたい」と考えるようになったのです。母親は強く反対するのですが、とうとう子キツネは、人間に化けて山を下って、大都会の会社でサラリーマンとして暮らすことになったのです。

子キツネは大喜び。給料をもらうと美味しい肉だってたくさん食べられるし、山々で人間に追われることもない・・・・しかしそのうちに、コンキチは、自分の働く会社が毛皮会社だということを知るのです。しかし「狐の生活が嫌だったから、人間になったのに、いまさら元には戻れない。」とコンキチが考えているうちに、社長に呼ばれて「今年の冬は毛皮が足りないから、君は山へ行って毛皮を集めてくるように。うまくいったら君には部長になってもらいたい。」という命令を受けて、鉄砲をもって山へ向かうのです。そしていつの間にかコンキチは昔、暮らしていた故郷の山に到着していたのでした。そして一番見事な毛皮を持った動物を撃止めるのですが、それはなんとお母さんギツネだったのです。」というショッキングな物語です。この物語の中に、私は、人間の生きかたを描いてみたかったのです。

「さばくのきょうりゅう」(講談社)

広い砂漠の地中に一匹の恐竜が眠っていました。その上を油の商いをするラクダの隊商が通り過ぎていました。そのうちラクダの隊商の中で、油を売った後、だれが一番多くの利益をもらうかで分前をめぐって口論を始めたのです。そして、結局だれが一番強いかでそれを決しようと、だれもかれもが剣を抜いて戦いを始めてしまうのです。そして最後に、みんな砂漠に倒れてしまったのです。地中で眠っていたきょうりゅうは、その物音に気がつき、砂漠に出てきてこの風景をみてつぶやいたのです。「人間は、きょうりゅうのような鋭い牙(きば)も爪(つめ)ももっていないのに、どうしていつも激しい争いをするんだろう。そして、いつの間にかみんないなくなった。」と嘆いてそのまま化石になってしまったのです。その上に美しい虹がかかっていました。」というファンタジーも混じった生臭い話です。これも絵本になって13言語で翻訳出版されています。いろいろな言語で読まれているということは、日本人だけでなく、広く大勢の子どもたちが読んでいることを意味しています。とても嬉しいことです。

「絵本の選択とは」

現在の世界は、余りにも激しく変化しており、人間はこれまでになかったようなエネルギー消費や厳しい環境世界に住んでいます。こうした世界を乗り越えて生きていくためには、子どもたちは、幼いときからさまざまな絵本などとの出会いをしていくことが必要です。そしてそこで視覚的にも感性的にも多くのことを学ぶのです。大人は子どもたちに、そうした多様性の世界の素晴らしさへ招待するために、さまざまに工夫をすることが必要だと思うのです。また欧米の絵本や日本の物語だけで育った子どもたちには、現代の世界が忘れてしまったようなアジアの文化の素晴らしさや価値観、伝承、知恵などを豊かに伝えていく必要がありますね。アジアやアフリカには、古くからの豊かな伝承や多様な表現がまだたくさん残っています。こうした物語には、たくさんの知恵が含まれています。

人間が壁にぶつかったとき、どうやってそれを乗り越えていくか。どうやって元気を取り戻し新しい道を切り開いていくか、その壁を越えるためには、豊かな想像力やたくましい創造力が是非とも必要です。そして豊かで暖かい愛情も必要です。そうでないと、人は長い一生の中で、まるでアリ地獄に落とされたように深い底なしの冷たい人間世界で苦しんで生きていくような気がします。本はそうした世界を乗り越えて、たくましく生きていくための道標のような気がします。道標はいつも旅人を待っているのです。

ネパールの物語に「ドコ(背おい篭(かご)という昔話があります。

「ある貧乏な夫婦が、子たくさんのため、家が乏しく食べていくのが大変で、口減らし(くちべらし)のため、とうとう年老いた父親を山に捨てることを計画します。そしてある朝、息子が父親を背おいかごに入れて、山に向かおうとしたとき、孫がでてきていうのです。
「おとうちゃん、背負いかごは、またもって帰ってきてね」
「それはなぜだね。」
「・・・ぼくも大きくなったら、山にいくから」
それを聞いた息子は、年老いたら自分も同じように山に捨てられる運命をたどるのだと想像し、父親を山に捨てるのを断念した。という昔話です。

ここには、ドイツの「ヘンゼルとグレーテル」というグリム童話などがもっている世界とは異なった世界が展開しています。アジアの世界には、アジアの豊かな世界が息づいているのです。経済だけでは見えない豊かな視点が多数あります。「ドリアンとパイナップル」という紙芝居があります。これは私がミャンマーの教育大学で働いていたとき、幼稚園の先生が教材として作成しました。
「ドリアンは、南アジアに広く分布している世界で一美味しい果実だと言われています。それはかぼちゃぐらいの大きさですが、その実はとても美味しく、硬い殻(から)ととがった鋭い刺(とげ)に守られていて、強い匂いがあるとてもユニークな果実です。この果物が登場する紙芝居です。

「ドリアンとパイナップルは大の仲良し。二人は体や格好は、ちょっと異なっていますいつも仲良く遊んでいます。あるとき、パイナップルが、「ドリアン君、君は少し臭い」と言いました。するとドリアンはものすごく怒って、パイナップル君に飛びかかったのです。するとパイナップルは傷だらけになってしまい、そして大声で泣き始めたのです。
ドリアンはびっくり・・友だちのパイナップル君がそんなに柔らかい体とは思ってもいませんでした。パイナップル君は、とうとう寝込んでしまったのです。すると一緒に遊べなくなったドリアン君は、自分のした行為を深く反省して、パイナップルの家に謝りに行くのです。
「パイナップル君、君がそんなに柔らかい体をしているとは知らなかった。ごめんね。許して!」
するとパイナップルも言いました。
「ぼくの方こそ、ドリアン君が臭いって言ったこと、許してね」
こうしてお互いは許しあって、それからも一緒になかよく遊びました。」

画像



これはミャンマーの幼稚園や小学校では、多様な民族出身の子どもたちが学んでいますが、こうした子どもたちがお互いの生活や文化を理解しあうためには、このような知恵の深い物語が必要なのです。これを作り出した幼稚園の先生は、人間ひとりひとりそれぞれが違ったものをもっていて、それを尊敬することがいかに重要かを伝えようとしたのだと思います。頭から教訓的に教えずに、寓話化したお話は、紙芝居というやりかたで、子どもたちの心に深く染み込んでいくのです。日本の教室にも、ドリアンのような男の子やパイナップルのような男の子が存在していますね。体はとても強くわんぱく、あるいは言葉や性格がとても繊細な子どもたちなど・・・こうした子どもたちに、このような紙芝居を見せることによって、言葉で厳しく教唆しなくても、デリケートな感性や想像性を深く刺激して、相手の立場にたつことの重要性を考えさせてくれるのです。こうした実感はいつまでも脳裏に残っていきます。

最後に人にとっては、朝起きてから夜寝るまでの時間と空間は、それはどんなものでもひとつの物語のように思えます。物語とは、絵本や本の中にだけ存在するのではなく、日常に経験したこと、感動したことなどすべて心に深く蓄えられていくのです。だれでも一日の自分の気持ちの動きようや人との出会い、出来事などを思い出してみれば、それはひとつの物語だと確信できると思います。そうした喜怒哀楽を自分が最も伝えたいと思う感情と言葉で、表現豊かに子どもたちに伝えていくことはとても大切です。

本だけでなく、生きた体験を身近な言葉で、感動的に伝えていくことーこれは特に子どもたちと毎日接している学校の先生に必要なことではないかと思います。それぞれの物語を子どもたちは、多様な耳でしっかりと聞いていることだと思いますが、それには家庭の物語や日常風景など、あらゆることが題材になります。こうして話す短い物語も子どもたちを読書へ誘う大きな起爆となっていくこともあります。生きた言葉や体験、そして印刷された言葉とが交互が励ましあっていくことが大切だと思います。

現在、私は「雲の物語」という創作を書こうと努力しています。まだ100篇ぐらいですが、これは大空に浮かんでいる雲が古今東西の地上で見聞きしたことを、自由に物語として描いているものです。私はこの物語の中に、これまで体験してきたことや考えたことなどをおもしろく表現しようと考えています。人生とは、だれにとっても大切なひとつの物語ですから。現代の有り余るような情報や知識社会の中で、どのような本を選び、どのように子どもたちに道案内をしていくか。これはとても重要な課題で、人と人を結んでいく強い絆のような役割を果たしています。

人生に迷ったとき、苦しんだとき、あるいは難解な問題に対して、問題を解くという方法を示すだけでなく、解けそうもない問題でもきちんと子どもたちに提起すること、子どもたちに現実の世界をきちんと伝えていくことーこれが最も重要なように思います。表面的に見える世界だけでなく、見えない世界も想像して考えていく力。それは物語の世界や本の世界が豊かに持っています。それはやがてこれから起きる様々な世界を乗り越えていく大きな力になっていくだろうと思います。心の中に豊かな体験と想像力の山脈を築きましょう!!







文芸講演会ー絵本の力
「人と人とを結ぶ 心の絆」
2011年6月29日 (水曜日)
池上会館




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