田島伸二のブログ-Tajima Shinji

アクセスカウンタ

zoom RSS 紙漉きとパキスタンのワークショップ

<<   作成日時 : 2010/12/16 17:00   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

1998年、パキスタンで寺子屋式の小学校を訪問調査しているとき、私は全国各地で大勢の子どもたちに会ったことがある。彼らは大きな瞳を輝かし、私に好奇心をもっていろいろと質問をしてくる。そこで私も寺子屋学校を見ながら子どもたちに
「どんな教材が欲しい?」と尋ねてみた。

すると、子どもたちは一斉に大声で「コピー」と答えた。
「コピーとはいったい何だろう」初めはなんのことかわからなかった。というのも寺子屋学校は、貧しい子どもたちが通うコミュ二ティ・スクールなので電気も机も窓もないところが多い。 「コピーの機械にしては、電気は来ていないし、コピーとはなんだろう?」そこで通訳に聞くと、コピーとは「紙やノート」を意味していることがわかった。

インドやパキスタンなど南アジアの子どもたち(5才から14才)は、通常、羽子板のようなタクティという板版に白土を塗っては乾かした上に、水に溶いた墨の粉インクを竹ペンにつけて書いている。これは何度でも書き直しができるので、随分便利なものだと思っていたが、反面次に書くときには塗り直さなくてはいけないので、実にやっかいなところもある。冬の寒い時期、たくさんの子どもたちがこのタクテイ(板版)を塗り直すために小川で洗っている風景を目にしたが、実に寒そうだった。しかも冬日なので土で塗り直してもなかなか乾かない。学校の前には、太陽の陽射しで乾かせているタクティをよく見かけた。

そこで私は、「みなさんは、タクティというとても便利な石板を持っているでしょ。それならば、何度書いても消すことが出来て、何度でも使える、こんなに便利なものがあるのですから、」と答えると、1人の女の子が立ち上がって、
「タクティは、書いてもなにも残らない・・・・・記録したいの。」 と言った。

その答えを聞いて、私は愕然とした。「そうか、文字の読み書きを習うのならば、タクティはとても役に立つだろうが、小学校の3年生4年生など高学年になってくると、勉強したことをきちんと記録したいと思うのは当然のことだ。この寺子屋を訪れて知ったことは、書いたものや記録は、すべて消さなければならないということだったのだ。絵にしても宿題にしても、日記にしても、先生の直しにしてもなんにも残らない。そうか、考えてみると文字や絵は、紙に書いて記録しないと確かな記録とはならないのものだ。

書いてすぐに消すのでは、まるで浜辺の砂文字のように、寄せてくる波に消される砂文字のように不確かなものだ。そうか、文字を書くことと記録に残すことは、表裏の関係にあるのだ。
人は長い歴史の中で、紙や皮などに文字を書いて記録を保存できたとき、初めて表現や伝達や保存のの喜びをかみしめたのではなかったか。岩や石に刻んだものでは持ち運びができないのに対し、紙ならば簡単に持ち運びができるし長年の保存もきく。 

そこで考えてみると、紙の使用量と教育の関係は正比例している。紙は文化のバロメーターともいうが、文化はまさに紙から生まれてくるのだ。教科書、新聞、絵本、雑誌、そしてノーとブックや、図画用紙、そして本物のコピー機械のコピー用紙から、日常生活では紙の媒体を離れて人間の文化は成立しようがないのが現実なのだ。

しかし日本を含め先進諸国では無尽蔵の紙を消費している深刻な状況もあり、それも途上国の膨大な森林伐採などの犠牲によって)、しかしパキスタンのような途上国のほとんどは、紙パルプを自国で生産することは非常に少なく、原料は輸出しても紙製品は海外からの輸入品が圧倒的だ。だから、ノート類にしても紙パルプは非常に値段が高い。

寺子屋学校の子どもの訴えを聞いて、私は困ってしまった。すぐに子どもたちにいい回答は出せなかった。その日以来、子どもたちの要請にどう答えるかを真剣に考え続けた。初めは、日本の海外協力機構やNGOなどの助けを借りて、多くの寺子屋学校へ「ノートを送る運動」を組織したらどうかと思った。しかし子どもたちの人数やその膨大なノート量を考えるとすぐに行き詰ってしまった。海外協力の哲学には「魚が欲しい人々へ、魚の缶詰ではなく、魚の採り方や養魚のしかたを伝えることが重要」という自立の言葉もある。

こうして悶々と考えているとき、一時帰国している時に、日本のレストランの壁に沖縄のさとうきびの残滓(バガス)で作った紙が作品として飾られているのを見つけた。「そうか。サトウキビの残滓ならパキスタンにもたくさんある。私は北西辺境州やパンジャブ州の大平原にサトウキビの畑が広がっているのをよく見ていた。サトウキビ畑で働く人々の姿をビデオで撮影していたこともある。考えてみれば、通常砂糖を搾り取ったあとの残滓は燃料にするか、家畜の飼料にするかどちらかである。「そうか、これを使って紙づくりをしたらいい」と思い、イスラマバードの自宅に早速、紙漉き工房を設置した。

しかし、最初はリサイクルから始めた。日本の牛乳パックを使った手漉きである。これは簡単だったが、しかしパキスタンには日本の牛乳パックののように高い品質をもった材料はない。日本からの原料を使っての紙漉きではお笑いものだ。そこで私は、新聞紙やダンボール箱をミキサーで砕いて、それで紙漉きを始めた。この方法でやると、どんな紙でも紙漉きは簡単にリサイクルできることを知った。それで夢中になってありとあらゆる紙製品を使って紙漉きを行い、草木染め染料などの技術で多彩な色に染めた。


次に自然の草木からの紙パルプ作りに挑戦した。そのため庭にテントを建てて、大きなかまどを用意した。シルクロードの仏跡が残っているタキシラで大きな石臼を(いしうす)買ってきた。これはインドでもパキスタンでもカレーの料理を作るときの必需品なのだ。何種類もの香辛料をこれで砕いている。そして杵(きね)は、友人に頼んで山で切り出し硬い木材で作ってもらった。そして自宅の庭や近所の野山に生えている植物の繊維をすべて試みようとバナナの幹、葉(バナナの実を収穫すると切り倒す)、ビワの葉、竹のささ、茅、麦わら、稲わら、萱(カヤ)などを使って、たどたどしく紙漉きをはじめたのであった。

でもどうやって、サトウキビや雑草のようなものから真っ白い紙が作れるのか、パルプとはどういう過程を経て作られていくのか。私は最初はなにもわからなかった。最初は、サトウキビを砕いて、それを煮沸して、叩いて凝縮したものでまるでせんべいみたいな厚さの紙であった。パキスタンの友人は、自家製のパンでも焼くのかと冗談を言って冷やかし、またある友人は卵を保管するケースならば役立つのでは、と忠告してくれた。そして1年間の試行錯誤を末、日本の和紙の漉き方のように独自な創意工夫を重ねてみた。多くの人々が協力してくれた。
そうしたある日、農業技術を教えていたある専門家の友人が、「この桑の木に触れるとかぶれる人がいて困ったものだ。成長が早いので、今どんどん広がっている。役所はこれを年中伐採しているが」と言って小枝を差し出した。そして彼は、「しかしこれは紙にするといい紙になるそうだね」と言うので、私は早速それを試してみた。それは裏山に自生している野生の桑(くわ)の木であった。ウルドゥー語でトゥーツと言った。

イスラマバードの首都圏は、まるでトゥーツに囲まれた森林の中にあったのだ。成長が早く森は、ほとんどこの木で覆われており、道路端にも伸び放題になっていた。このトゥーツを使うとそれは日本の楮(こうぞ)とほとんど同じような高い品質をもつパルプが出来たので、これを契機に紙漉きは飛躍的に伸びていった。この野生の桑(くわ)の表皮を使った紙と同時に、パキスタンの灼熱の夏日にあわせて素早く紙を板に脹れる新しい方法を開発したのも非常に効果的だった。

日本では紙漉きは冬場にやることが多い。高温だとトロロアオイが腐ってしまうし、楮(こうぞ)を収穫する時期も関係していたからである。しかし南の国では、バナナにしても収穫のあとは幹は切り倒して、捨てるだkである。そのためこれらの幹や葉っぱを十分煮沸したあと繊維を取り出すことにした。よく煮て、よく叩いたバナナの繊維は実に美しい紙となった。

これを見て私は、驚嘆し、そして人々も驚嘆した。バナナの緑の葉から紙ができる。サトウキビの残滓から紙ができる、雑草から紙ができるというニュースはあっという間に広まっていった。しかし私は特定の人々だけにこうした技術が伝わると、パキスタンの状況から言ってすぐに技術の特権グループができると思われたので、なるべくすべての人々に教えようと決意した。なかでも社会的に恵まれていない環境に生きている人々に、真っ先に伝えていこうと思った。紙作りと文字の読み書きの識字教育を効果的に結びつけるためにも。


まず最初に紙漉きを伝える地として選んだのは、アフガニスタンの国境近くに住んでいる非イスラム教徒であり人口はわずか約4千人という少数民族のカラーシャの人々であった。カラーシャの人々は、その昔、ギリシャのアレクサンダー大王が、インド侵略を行ったときに一緒に来た人々であると言われていて、子どもたちの目は青い。

カラーシャの地で、紙漉きを始めたとき、庭先に最初に集まってきたのは好奇心に満ちた目をしたたくさんの幼い子どもたちであった。5歳から8歳ぐらいの子どもたちが、私の紙漉きを食い入るように見つめていた。かれらはまるで不思議なものでも見るように一挙手一投足を見ている。それからすぐに10歳から15歳ぐらいのカラーシャの若者たちが集まってきた。そして午後からは若い女性たちが三々五々集まり始め、やがて成人女性が集まり、夕方近くには村の長老や村長までがこの紙漉きに参加したのであった。

パルプには、カラーシャの急斜面の谷川に生えている柳の皮、雑草、そして使い古しの紙箱などを使って、リサイクルの紙と一緒に次々と紙を漉き始めてみた。みんなの目はまるで驚異というもので、喜びに満ちていた。

次の日は、もう大変だった。もう私の指導というのではなく、彼ら自身が見ていたように行ったのである。この瞬間は「紙」という存在を、遠く都市から送られてくるのを待つのではなく、天から降ってくるものでもなく「自分たちの力で紙を創造する」、という自信に満ちた彼らの喜びの顔があった。私その日のことを忘れることができない。

しかも漉きあげた紙を板に張りだし、乾くとすぐにその紙を剥がして、その上に若者たちは線画を使って思い思いの絵を、カラフルに描き始めた。文字をもたない村に伝わっていたさまざまの動物や生活を。文字や絵で表現するという「識字」の原点の喜びが刻まれ始めた。それは長い長い間、表現したいと思っていたカラーシャの人々の心に灯がともった瞬間のように思えた。表現された絵をよく見ると、おもしろいことに描かれたすべての動物は糞をしている。家畜の周りに黒い点がたくさん描かれている。そうか、これはこの家畜は生きているという証しなのか。
独特の表現に感動した。

こうした活動をじっと見つめている子どもたちの目。その輝く目やその場の環境こそ私の求めていたコミュニテイでのノンフォーマル教育の現場であったのだ。自分たちの文化を表現でき、それを記録できる驚きと喜びが入り混じりながらカラーシャの人々のワークショップは終日続いた。
カラーシャの村に嫁いでいる日本人のわだ晶子さんは、若者たちに情熱をもって指導し、このワークショップを通じて、人々は自分たちを実に生き生きと表現し始めた。とくに子どもたちや若い女性たちは夢中だった。それからは新しい絵本や絵葉書などをクルミの殻を炭にして作った墨で描きはじめるようになり、紙漉きは収入向上にも貢献し村おこしの重要な役割を演じ始めた。この日はその記念すべき最初の日となった。カラーシャの冬は厳しく非常に寒い。そのため人々は、薪のストーブを使って暖房にしている。草木灰もたくさんある。そこで素材を灰汁で煮るのは、冬の間に行えば良かった。出来上がった紙漉きの絵は、旅行者などに買われていった。

その後、全国の農村地域で子どもたちを教えている女性の教師、キリスト教徒のNGO、障害者の子どもたち、労働省での研修、国際機関にも教えた。知的障害のある子どもは、自分で漉いた紙に絵を描きそれを受け取った人々の嬉しそうな表情を見て大喜びし、表現することに自信をつけ始めた。
そしてラホール、イスラマバード、カラチ、ハイデラバードなど全国の大学の芸術関係者なども含め55回の紙漉きのワークショップを開催した。自宅の工房へはイスラム教徒の聖なる日である金曜日にも日曜日にも人の絶えることはなかった。そして1500人を超える人々がこの技術を手にすることになった。

妻和子は、これらの紙漉きの技術を使って、たくさんの芸術作品を作り始め、何度も国立アートギャラリーで個展を開催した。そして現在は、この技術はパキスタン全体に大きな広がりを見せ、これらの中から紙漉きの後継者も次々に育ってきた。子どもの性的虐待を防ぐ活動を行っているNGOである「SAHIL」サヒルの会は欧米に輸出できるぐらいの品質で紙の製作を行っている。これはたったの10年間に実現したことだ。これには本当に驚いている。そして参加者の中から何人も指導者と呼ばれるような人が生まれてきた。みんなワークショップの参加者であった。

そして、2009年現在、パキスタン教育省は全国の学校教育のカリキュラムに紙漉きを取り入れるまでに発展した。学校現場で、このような実践教育を取り入れることは非常に画期的なことであった。全国の教師を研修するのは、私が教えた参加者たちが中心的な役割を担った。こうして汗を流しながら、自然環境のことを学びながら、農村開発や環境学習のことを学んだり、自立する方法を模索するのを小学校から学ぶことは、非常に大きな励みとなる。

そしてこの流れは、頼まれてラオス(山中)、ビルマ(川に浮かんでいる布袋草を使ったの紙漉き)、アフガン難民キャンプ(ペシャワール)インドへも広がっていったが、中でも南インドのダリット(不可触民と呼ばれカースト制度の中の最下層)の女性たちには、3年がかりで教えていった。これは新しい運動を作り始めた。彼らは生活の中でカースト差別などを絵と文章で紙漉きの紙に表現し始めたのだ。それらは今、力強いメッセージとなり広がり始めている。紙を漉くだけでなく、そこに表現することも合わせて行っている。

名ずけて「雑草の紙漉きを通じての社会改革」がささやかに始まった瞬間であった。紙漉きと共に暮らした生活、それは一瞬一瞬が非常に喜びに満ちたものであった。紙漉きは、自然の豊かな素材から「人間の物を作る文化」の原点にあるような気がしてならない。紙質や目的はそれぞれ異なっても、紙漉きは世界中の人々が豊かに共有できる最も高い文化の原点にあるものであろう。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
紙漉きとパキスタンのワークショップ  田島伸二のブログ-Tajima Shinji/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる