田島伸二のブログ-Tajima Shinji

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<<   作成日時 : 2009/06/19 01:35   >>

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2009年3月20日/成田から南京へ
上海空港からバスで1時間程、上海駅広場は人々で溢れていた。大きな布団のような荷物を抱えた人、両手に大きなバッグを持ち首からもぶら下げた人、、地方に帰るらしい少し疲れた様なおじさん、若者たち、殺気立った人々、とにかく人でいっぱい。目的地南京までの切符を買わねばならないがどこが窓口かもわからない、とにかく列になっている所に並ぶ。

季頴さんから指示された一番速い<D車>これは最新の新幹線のような列車との事だが、その切符はすでに売れ切れで、なんとかその次に速い列車の切符をようやく買うことが出来てホッとする。ひと安心なのだが、南京に着く時刻が遅くなってしまうので、出迎えてくれる、周翔さんに連絡しなければならない。
さあ、電話はどこだ、駅前広場にずらりと設置してある最新式と見える公衆電話だが、皆故障したまま放置されて
いてどれも使えない事がわかる。田島さんが反対側の商店街に面した方へ探しに行く。
20分ほど待ってようやく、戻って来る、結局公衆電話はだめで、付近にいた学生さんの携帯電話を借りて
連絡出来たとの事、やれやれ。


列車は寝台車のようだったが、ほぼ満員、それでもなんとか座る場所は確保、満員の中でも社内販売で
お茶や食べ物を売りに来る、持参の茶碗をもって給湯所に行く人が行ったり来たりと忙しい。ゆっくり車窓の
景色を楽しむでもなく、日が落ちた頃ようやく南京駅に到着。出迎えの周翔さんたちにも会えてようやく安心。
今夜からの宿舎に向かう。南京師範大学キャンパス内にある、大学関係者や教員用のホテルとの事で部屋も
気持ちよく設備されている。その夜は歓迎会と云う事で、大学教授のG氏とT氏、周翔さん、編集者6名の方々で
夕食に招待して下さった。


次の日の朝からワークショップの一日目が始まるのでゆったりした気持ちにはなれないが、兎に角無事南京師範
大学に着いたのだ。長い一日でした。

21日/ワークショップ一日目
朝9時から始まるので、その前に担当の孔教授(Dr. Kong)と打ち合わせのため周翔さんと教授が8時半に
ホテルにやって来る。初対面だし、ワークショップの内容も充分伝わっていないようで、双方手探り状態ではあるが
孔教授は聡明な人のようだし周翔さんも信頼できる温かみのある人だ(なので、なんとかうまく行くのではと思われる)。

会場は大学の門を出て3分ほどで歩いて行ける付属の幼稚園のホールのような室。9時少し過ぎに着くともう
学生さんたちがまっていた、子供たちも前列にきちんと座っていた。
孔教授が我々4人を紹介し、それぞれ簡単な挨拶をして、すぐにワークショップにはいる。昨夜遅く到着して今朝
合流した季さんが日本語に通訳する。前の方にはすでに絵の具やマーカー、クレヨンの入った箱、全紙大の模造紙などが
用意されていた。

田島伸二さんが「絵地図」について説明する、テーマは「私の人生マップ」、それぞれ自分の人生について、
絵と文を使って、悩みや喜びなど表現してもらう。幼稚園のこども達はこのテーマにかかわらず自由に描いてもらう。
(私はヴィデオを持って撮影する。)

中国ではワークショップ、のような参加型の授業はほとんどないので、戸惑いもあるようで、始めのうち躊躇する学生もいたが昼ころにはそれぞれ自分の作業に没頭していた。周翔さんも参加した。
午後はそれぞれ作者が自分の作品について話したり作品についてコメントしたり、質問への受け答えの時間とする。
子供たちも前に出て自作について話した時は無邪気で率直な受け答えに会場は和気あいあいで沸き立っていた。
学生の制作したものにはかなり深刻な悩みも描き込まれていて、閉会後、個人的に自分の作品を見せて悩みを相談したい、話しをもっと聞きたいと言ってやって来た。特にこのテーマでは制作物を通じ個人的に話しを聞いたりしてつまり制作後の作業がまた重要なのだと思える。充分な時間が必要だその意味では時間が足りなかった。
*学生たちの悩み: 目立ったのは、就職、進路、両親からの期待の大きさとそれに答えたい思い
22日/ワークショップ2日目

前日と参加者がほとんど入れ替わった。同じメンバーでするのが、効果的と思われるが大学側の事情のようだ。学生は試験で忙しい時期だったのだ。そんな時期に参加してくれたのはありがたい事。この日は学生は少ない。幼稚園児とその親たち。そこで親御さんたち(30代前後か)にも参加してもらうことになる。互いに知らない者どうしもまじえてグループになり、その中で相談して、テーマを立てて話し合いながら作業を進めてもらう。家庭の問題、老後の問題、社会の中での男女の尊重などのテーマがでた。

小学生では自然環境を守る大切さなどがテーマとして取り上げられたのは教育の成果なのか現代と云う同時代性の中にいることが感じられた。やはり、子供たちは未来の環境には敏感であるのだろう。始めのうち、なかなか意見がまとまらないように見えたが、その内に皆夢中になって絵を描いたり文を書き込んだりしていた。

最後のまとめはやはり順次前に出て説明する。グループの代表に対して会場から自由に質問や感想を言ってもらうようにしたところ互いに理解が深まり、親密さが会場を良い雰囲気にした。さらに親たちの制作したものに子供たちが次々と質問をあびせ親たちも一所懸命、真剣に答えていたのはとても良かった。普段、親たちが抱える問題に子供が関わる事はほとんどないと思われるけれど「絵地図」という一枚の絵に描かれた事に対して子供たちが聞きたい事を質問し、大人がそれに答えるという作業の中で垣根が取り払われ互いに関心を持ち心を通わせ合う良い機会になったようだ、
しかも双方共に、いとも楽しい雰囲気の中で! この日は孔教授も一つのグループに入って参加していた。
どのグループも童心に帰って夢中になって楽しそうだった。コン教授の感想:「このように自主的な意見や思いの探求を共同作業でする機会は中国ではこれまでほとんどなかたっが、
これは有効な方法だと思う。これを一日目にしたらより良かったのではないか、、。」

23日/ワークショップ3日目
最終日は四人の講師のレクシャーとなっていた。
午前中、まずICLC代表の田島伸二氏の話。自己紹介に続いて、南京師範大学でこのワークショップが出来る
事になった経緯やこのワークショップの感想、ICLCの活動の紹介や自作の童話の話しをスライドを使って盛り
だくさんに紹介。



続いて季頴さんが彼女の研究テーマだった<センダック>と、日本の絵本<雁の笛>を取る上げ、スライドに映し

ページをめくりながら語った。話しの最後に<雁の笛>の先生のような教育がほんとうに理想なのだと涙ぐんだ。
季さんが紹介された絵本は、 「いるいるおばけ」(冨山房)+センダックの絵本について・・。
「カラス太郎」(八島太郎文・絵/偕成社) など。(この時は通訳してくれていた季氏が中国語で話していたので

おおよその感じす。)

午後は津田櫓冬さんが自身の絵本作品と仕事を辿っての自己紹介と主なテーマである[絵本とそれが作られた時代状況との関連」を「(1)「わたしとあそんで」(マリー・ホール・エッツ文・絵/福音館書店)じっと待つことで、発見するチャンスが得られる話し。今のこどもたちは時間的にも、空間的にも不自由な状態を伝える。
(2)「The Adventure Of Tommy」
(「トミーのぼうけん」H・G・ウエルズ文・絵)ロンドンの出版社・1929 (3)「Schly Mandli](「ちいさいひと」)
(ドイツの出版社/民話絵本)1600年代に起きた30年戦争を民話として伝承されたと思われる.。当時、600万人〜900万人の農民や兵士の犠牲者が出たと言われる。(4)自分が関わった絵本ー「狼の森と笊森、盗人森」(宮沢賢治文、津田櫓冬絵/ほるぷ出版)(5)「天のひぼこ」(尾上尚子文、津田櫓冬絵/ほるぷ出版)
の絵本を取り上げてを作者の思いや津田さん自身の考えを交えて話した。


最後、私は自身の作品を映し制作した時の状況や思いを話し、つづいて、「先史時代の壁画から現代の街の落書きの作品そして幼児の絵」などのスライドを映しながら「人間が絵を描く事」への意味や考察、自身の思いを話した。
最後は参加者全体で自由にな質疑応答となった。全体の質疑応答では,「絵地図ワークショップ」に参加した感想の他、アニメーシヨンの中の暴力が子供たちに与える影響についてに話題が集中した。時間があればより広く深い話し合いに発展したはずでその点残念な気がする。



最後に田島伸二氏が日本人の参加者を代表して
「明日私たちは、南京虐殺記念館を訪問し良く見て歴史の事実を学んで来ます。日本が中国の人々に戦争で与えた非常な苦難について心から謝ります、本当にすみませんでした。」と謝罪する言葉を伝える。一瞬しずかな緊張の後ざわざわとなった会場は涙ぐむ人もいる、やがて、暖かい反応がかえってきた、それは始めの日から、見えないところで張りつめていた何か硬い緊張が溶けたような瞬間だった。やはり、そうだったのだと次の日の記念館見学を終えて、様々な事を知り納得した事だった。

24日/南京大虐殺遭難記念館見学

ワークショップに最初から参加した林さんという幼児教育を選考する青年が迎えに来てくれる。彼は悩みがあって解決法を聞きたいと個人的に作画した自分の絵地図を持ってやって来た学生のひとりでもあった。晴れた朝、木々の緑が日に日に鮮やかになる学園の庭を出ると直ぐ彼はタクシーをひろって、記念館(正式にには日本語で「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館」という)に直行する。朝の通勤で混雑する通りを30分以上かかって広い通りに面したコンクリートの広場に到着。

巨大ないくつかの人体の彫刻に目を奪われつつ、かなり大勢の人たちが入場口に並んでいるその後に並ぼうとすると、連絡をしておいてくれたらしく直ぐに記念館の人が現れ私たちを別の入り口を通って大きなテーブルのおかれた広い部屋に案内した。

暫くして係りの人はひとりの老人をつれてもどり、お茶を運んで来てからいなくなった。常さんという83歳の男性は体験者、生存者として記念館で体験を語っているとの事。常さんが話す直ぐそばで、林青年が流暢とは言えないながら英語に通訳してくれる。常さんは当時10歳、10人の家族の中で常さんは唯一人り生き残ったとの事。日本軍が南京に侵略し一般市民の家々を荒らしながら人々を追い立て、逃げ惑う人々を子供や女性も容赦せず危害を加え略奪、殺人、強姦が行われた
中で常さんの家族、父、母、姉妹、兄弟、が殺され祖母も死んでいった様子を時に苦しげに、無念の思いに耐えて
話してくれた。特に母が幼い妹を胸に抱いて必死で懇願するのを銃剣で突き殺された情景を話す時は今その場に
いるように苦しげだった。私達は知識として知っていたけれど、話しを聞く間そこは言いようもなく苦しい場となった。

たとえ彼が語り部という仕事上誇張して語ったのだとしてもその体験や苦しみの事実は(ある人々が主張するように)否定する事はできないと思われた。この詳しい話しはここでは割愛しする。その後の記念館の見学も最後まで非常な重い気分に押しつぶされつつ沢山の資料や芸術的な展示も含めて終了した。いくつか特に印象に残った中で特別の感慨を持ったのは、南京市民が逃げ込んだ所、当時女性たちを守るために避難所になっていたのが、金陵女子大学、現在の南京師範大学だったと言う事。まさにそこに私たちは4日間滞在していたとは。あの、庭にあった女性の銅像は当時避難所で責任者となって人々を日本軍の残虐な暴行から守ったミニー ヴォートリンその人の像だったのだ。


私はそれを恥ずかしい事に記念館を見学して後はじめて知ったのだ。当時の様子は資料に拠っても知る事ができるが、それほど力を尽くして南京の人々を守り中国の人々から尊敬と感謝を集めている女性が、この悲惨な体験の
心の傷の深さから癒える事ができず、1948年故国に帰って自殺してしまう。それほどの残虐な日本兵たちの暴行が戦争の名の下に行われたのだった。

もう一つ展示されていた資料のなかで当時日本で子供たちの雑誌の付録として配られていたという、2枚組の
絵はがき。その一枚には叙情的な緑の風景の中に美しい馬にまたがった美しい兵隊の姿が描かれ「清しい
日本の兵隊さん」という言葉が添えられ、もう一枚にはやはり美しい風景の中、馬に乗った兵隊がそばにいる
幼い子供に馬上から体を傾け手をのばして何かを渡している図、そこに添えられていたのは、「やさしい日本の
兵隊さん、支那のこどもたちにお腹いっぱい食べさせてあげます。」という言葉だった。このような施政者のトリックに
私たちはどう対するべきなのか?


記念館の見学を終えてから林青年に、かつて金陵女子大学だった大学内に現在も残る当時、防空壕として使われ
現在は通路として使われている メートルほどのトンネルやヴォートリン女史の記念碑を案内してもらった。
南京師範大学の庭を歩きながらその緑深い木々の陰にいつまでも消えない記憶の影が悲しげに重なってくるようだ。
構内の庭園の木々には春の花々が咲きこぼれ、その下で幼い少女がポーズをとり父がカメラを構えていた。
ごく平凡な平和な光景が深い意味をもって感じられた。

                                (3 June 09 たじま和子 記)

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