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Q: あなたは「日本の子供たちの目は生きていない。欲望の海のような社会の中で、深く傷つき目的も持てずにあてもない漂流を続けている。」と常に言っていますが、現在、子どもたちへの教育には、どのようなことをやっておられますか? A: 現代の子どもたちは、有史以来、最も深刻な状況に囲まれています。文明がご破算したといっていいほど絶壁に差し掛かっているからです。これは子どもの課題というよりも、むしろ大人の生き方の大きな間違いの中で、子どもたちは苦しんでいるわけですから。それは先進国でも同じですが、特に途上国と呼ばれる国々ではさらに顕著になっていますね。貧困にしても、環境の問題にしても、経済にしても、アイデンティティにしても、途上国の子どもほど二重にも三重にも多大な影響を受けている存在はいません。特に経済的に貧困の極にある子どもたちのその絶望感というものは空前絶後です。ですからこうした壁を乗り越えようとするときには、例えようもない無力感を感じるのです。そして創造よりも破壊へ向けての力を求める結果になるのだろうと思います。テロこそが物事を解決するという悪循環に陥ってしまうのです。 私は、教育の問題を考えるときに、これかでどうやったら自分自身を客観化して普遍化した生き方をできるかを考えてきましたが、アジア地域での教育活動の中から、子どもたちた大人たちと一緒に「絵地図分析」という自己分析、社会分析方法を生み出したのですが、これは人間性再生のために役立つのではないかと期待しています。 これは実際にワークショップを開催しないと詳しくは説明できませんが、これまで各国で行われた結果から考えると、実に大きな可能性を持っているように思います。アジア地域のあぜ道における実際の実践活動の中から生み出されたもので、基本的には自他の中に存在している多様な意見をどのようにアクションとしてとりあげていくかという戦略です。そして、それは基本的にリアクションとしてではなく、アクションとして主体的に取り上げて生きる方法です。切実な人生体験を話しながら、まず最初に子どもたちを触発した後に、初めに小さなグループな中で話し合いを行なってもらいます。 そして小さな紙片に、考えられる限りの自分の気になることをどんどん書いていきます。欲しいもの、やりたいこと、行きたい場所、悩み事、自分の長所短所、家族や友だちのこと、だれにもしゃべれない秘密のこと。なんでも思いつく端から書いていって、それを種類別にグループ化していきます。さらにその余白にさらにメモやイラスト、道や矢印などを書き込んでいって、人生の地図−つまり自分の過去、現在、未来を示す心の地図を作るんです。この絵地図分析は、子どもたちの無意識世界の問題も含め内面へ向けての旅の始まりを自分で創っていくことを促します。これは爆発的な力をもった自己分析のやりかたです。このワークショップを共同で開いているのです。 自分の頭の中にある観念の地図は解きほぐすこともできないぐらい複雑にからんでいますから、これを外の世界で自由に解き放ちもう一度自由に再構成することが重要なのです。つまり自分自身を客観視する視点を持つことです。窓ガラスに当たってバタバタもがいているハエのように、子どもも大人もなにかにつきあたったときにはその世界の中でしか生きることができない。少し離れて自分の置かれているところを見れば広々とした自由な時間や空間が無限にあり脱出口がいくらでもあるにもかかわらず、すぐに地に落ち、絶望してていく。子どもたちのうつろな目はそれを示しています。子どもたちが早くから自立するためにも内側から自分の道を発見していく必要があるのです。今の時代は一切れのヒントでも与え方によっては十二分に子どもたちを救えると思うのです。 Q : あなたの活動は広い範囲にわたっていますね。その活動の原点は、南アジアが多いです。、なぜそういう地域を選ばれたのですか? A: 私はインドのブッダやタゴールの哲学に憧れて、学生時代からインドへ行ってみようと夢見ていました。大学に在学していたとき、タゴール研究者である我妻和男先生からシャンティ二ケタンのタゴール大学への留学推薦を受け留学したのが南アジアとのかかわりの始まりです。2年間の遊学生活はとても刺激的なものでした。それからユネスコ関係の識字教育などで、これまで、アジア、太平洋諸国、アフリカなど30カ国くらいをまわりましたが、インドやパキスタンなど貧困と識字問題が圧倒的な南アジア地域が、教育問題で多かったのです。 パキスタンに3年半の識字教育の仕事で行ったとき、たくさんの子供たちが刑務所に収監されているのに出会いました。どこの国でもそうですが、刑務所は社会の矛盾や問題点が集中しているところです。冤罪、貧困による盗み、傷害、麻薬運び、殺人。子供たち自身が犯罪を犯すというよりも、大人たちが犯罪を行ってそれを子供たちに押し付けて監獄に入れているのが実態です。アフリカや中東でも世界中の子どもたちはいつも大人に利用され、犯罪に加担させられているのです。そして幼くして兵隊としても戦場に送られるように訓練を受けるのです。 子供は無力です。大人社会には異議申し立てが出来ません。意味もわからずに犯罪を犯し、武器を持たされたまま非情な戦場へと送られている。こうした子どもたちの自立になにができるか、パキスタンの刑務所を見たときいろいろ考えました。人権を振りかざしてもすぐに刑務所側はシャットアウトすることが考えられるので、まず初めに育ち盛りの子どもたちを冷たく狭く暗い牢獄から外に出し、太陽の光のもとで身体を鍛えるためにクリケットやバドミントンなどスポーツ用具を贈り外で遊ばせたいと刑務所長に頼みました。子供たちはとても喜びました。 それから彼らにさらに聞くと、外の世界のことが知りたいので本が読みたいという。閉ざされた壁の中でひたすらに外の世界や彼らの人生の情報に飢えているんです。それで刑務所内に図書館を作ろうと決め、いろんな方面の協力を得て太陽の光(キランと言う名前)という名前の図書館を作りました。これは非常に大きな刺激を与えたようです。閉ざされた世界では想像力を刺激する知識や情報が必要ですね。特に子どもたちは!文字を通じての想像の中で未来を考え出す力を本の中から学び取っていけるのです。 この図書館が2000年第1号となり、第2号が昨年パンジャブ州の砂漠地帯にあるムルタンという町にある女性刑務所の中に作られました。ここには女性が300人も収監されていますが、刑法は女性に対して非常に差別的なところがあり、たとえば強姦罪の立証には四人の証人が必要で、四人そろわないと逆に被害者の女性が罪人として捕まって監獄に入れられてしまうということがあり、女性の囚人のうち半分を占めていたのです。そして第3号の子どものキラン図書館がファイサルバードに、第4号がペシャワールに設立されました。少数民族のカラーシャの村ではわだ晶子さんのコミュニティ活動に協力して、カラーシャの子どものキラン図書館も設置されています。 私が担当したノンフォーマル教育というのは、普通(フォーマル)の学校へ行けない貧しい子どもたちが行っている寺子屋式の学校のことです。1998年頃にパキスタンにはこうした寺子屋式の学校が4000校ぐらいありまして、村の5歳から10歳くらいの子供を青空教室や軒下のクラスに集めて、村の女性が教師となって教えていました。あるとき僻地の学校に行ったとき、生徒たちに「どのような教材が欲しい?」と聞くと口々に「コピー、コピー」と言って 求めてくるんです。最初、コピー機が欲しいのかなと思いましたが、違いました。向こうで「コピー」というとそれは「ノートブック」のことなんですね。教室では通常「タクティ」と呼ばれる石盤を使って、書いては消しして勉強しています。しかしそれだと文字はすぐに消えてしまって後に残らない。文字というのは情報を貯蔵するためのものですから、残らなければ意味がないのです。そこで彼らにノートブックを与えたいと思いました。しかしお金を使ってノートを 買って贈るのはすぐに無くなってしまいますから継続ができません。 自分たちの手で紙が作れるようにならないかと考え、植物繊維や新聞紙から紙を作る技法を日本やインドなどでの体験をもとに自己流で研究してみました。その結果、バナナの幹、ススキ、わら、サトウキビの絞りカス、笹、雑草などおよそどんな植物からでも紙が作れるようになりました。そこで60回ぐらいパキスタンの全国でワークショップをやって作り方を演じるとみんな面白がって、どんどん技術が広がっていき、自分たちの手で紙が作れるようになりました。アフガニスタンの近くの少数民族のカラーシャの人々はその手漉き紙に家畜や生活の絵を描いてそれで村づくりのための収入向上にあてました。幼い子どもの性的虐待を阻止しようという「サヒルの会」というNGOは、この紙漉きを本格的な収入源とするために非常に質の高いハンディクラフトを作っています。 自分の手による創意工夫で暮らしをたくましく作るのが、文化の原点であると考えます。パキスタンの農村の実態とは過酷な環境です。土地所有制度はいまだにイギリスの植民地政策を引き継いでいて封建地主制です。ですから地主層は基本的に人々が教育で力をつけることを極度に嫌っているのです。その土地に縛りつけておとなしく労働させておくには余計な知恵や知識はつけさせないほうがいい、学校があると彼らの土地所有に都合が悪いと考える支配層が少なくないですから、「雑草を利用した紙作りから人々の意識を変えていく」そのような教育戦略を考えたわけですが、それに小さな灯がともった感じですね。教育の結果はだれの目にも見せて確信させることが必要だと思いましたね。 Q: これまでいろいろ創作活動もやってこられましたね。どのような物語を書いたのですか? A: はじめに書いたのは「大亀ガウディの海」という物語です。水族館に長年閉じ込められていた海亀が故郷の海を恋しく思い、策を弄して脱出して元の海に戻ってみたら、そこにはすでに美しい海ではなく、核汚染で醜く汚れてしまった海だった。生きるための自然の中での冒険が始まる、云々といった話です。 イラン、タイ、韓国、ベトナム、バングラデシュなど16カ国の言葉に訳されました。人間の「ことばと手」が作り出した争いに巻き込まれていった宇宙のかなたの「ビックリ星の伝説」。山を破壊されたキツネが人間のサラリーマン社会にあこがれるが、毛皮会社で働いているうちに、出世のために鉄砲をかかえて故郷の森に向かっていく「コンキチ」、そして大空を流れる「雲がつれづれ語った物語」など。これらはアジアの子どもたちに向けたメーッセージだったのです。幸運にも、アジアのほとんどの国で、これらの物語は翻訳出版されました。こうした仕事が縁で多数のアジアやアフリカの創作者とも知り合いになりましたが、国境を越えて共通しているのは、「創作活動を通じて生きることの喜びや、痛み、苦しみなどを、ユーモアを交えた感動で、どのように子どもたちに伝えていくか」と思っていたことです。 Q: ところであなたにとって、現代の教育の一番大きな課題とはなんでしょう? A: そうですね。現代の一番の問題は、人間の欲望が無限に拡大していることです。この拡大を誰しも食い止めることができないということですね。古代ギリシャでは、欲望を抑制し、智恵を生みだすことが知恵とも呼ばれ、ソクラテスもインドの仏陀にしても人間存在の根本的な課題でした。人間は欲望と欲求の塊ですからね。特に現代の資本主義社会ではだれでも自由に、しかも無限に欲望や欲求を拡大させ、幸福をつかもうとする志向が強く、抑制や創造を重要な価値として意識する面が非常に希薄になっています。人生をプラス思考だけで形成しているのです。人間存在は、マイナス思考も行いながら、自らを抑制しないと究極の幸せは得られないように思うのです。欲望の世界の拡大とは徹頭徹尾、お金と物(肉体的快楽世界)の世界です。そこには普遍的な人間性や文化の力が働いていないのです。 この前、都内の小学校で絵地図の授業をやったとき、子どもたちの多くは「お金の獲得と世界制覇」を最大の関心事として描いていました。まるで今のアメリカに象徴される世界制覇や、それを追随しようとするイメージの貧しい現代日本を想起させるものでした。友人の一人は、イラク戦争は、アメリカの政権が、民主党へ交代したとしても100年戦争の始まりになると言っていましたが、人類という種は悲しいかな、石油というエネルギーの利権や権力を目の前にして発狂し、文明の絶壁に追い詰められている、そんな感じがしています。自爆テロとはただ単にイラクやアフガニスタンだけでなく、世界中の子どもたちの心の中で大炸裂し始めているのを知らないのですね。 21世紀とは、豊かな情報や物がたくさ集まるように見えますが、内実は凄惨で、不安定な暗い時代が始まるような予感がしています。人類が生き延びるためには、人間を生かす優しい智恵や発想が必要なときです。それには人間のこれまでの現実をよく見つめ、偏狭な宗教や民族や利害などの壁を越えてすべての人の心の中に明るい灯をともしていく人間力を高める実践を確立することです。それはあらゆる「他の存在の心の中」に灯をともしていくことです。そしてその中で特に大事な立脚点は、人間としての感受性や包容力、あるいは寛容な心と力をもつ「自己実現」を目指すことですね。 つまり人生というものはもともとはなんの価値もないから、そこにどのように自分なりの人生の意味づけをしていくか。理論やコンピューターの世界に閉じこもるのではなく、あくまでも現実の生々しい現場で格闘すること。現実世界で激しく試行錯誤することで人はよく学んでいけると思うのです。観念の中には限られた方法論しかありませんが、現実世界には無限の方法論がひそんでいますから、それを経験の中から取り出し、自分たちなりに工夫して組み立て、「人間の生きる環境」をよりよくしていくこと。そうやって生きる姿勢が人間関係でも、国際関係でもコミュニケーションの最大の基本ではないかと思うのです。 21世紀に一番大切な創造は「阻害されている人の心に火をともすことができるか」―人間が救われていく道はそこにあるのではないかと考えています。 (2004年) |
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