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zoom RSS 哲学と科学的リテラシー

<<   作成日時 : 2008/01/30 11:00   >>

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日本の教育には哲学がない。円周率(3.14)や宇宙についての内容などを大幅に削って、簡単にわかりやすくするといって”ゆとり教育”を推し進めていたかと思えば、ようやく定着し始めた”総合学習”をいとも簡単に「学力向上」という名のもとに切り捨て始めた。
”生きる力”をつけるいって大きな掛け声で、「総合学習」は進められたが、教師のありかたや授業の内容を改善せずに、OECDの学力調査結果で学習到達度が年々落ちていることを知ると、急に学力という声を高めて、あっと言う間に「杉並区」のように塾の教師を引っ張ってくる深刻な状況である。もともと、日本の教育は、子どもたちの「生きる力」などに関心などは全くなかったのだ。

朝日新聞によると、OECDの調査では:
”国際的にみると、読解力では韓国が1位(前回2位)、数学的リテラシーでは台湾が初参加で1位、科学的リテラシーではフィンランドが前回に引き続き1位だった。 今回最も力を入れて調べた科学的リテラシーを詳しくみると、日本は、「証拠を用いる」能力で2位だったものの、「疑問を認識する」で8位、「現象を説明する」で7位と、自ら課題を設定し説明する力に弱点があった。”という。

なるほど、うなずける。つまり日本では、「疑問を認識する」とか「現象を説明する」というような”科学的リテラシー”の力は非常に弱いわけだ。つまり自らが課題を設定して、その背景や原因をさぐるというような能力には弱点がある。それはその通りだろう!そのような人間を生み出すことを日本の教育界は望んでいないからだ。個性個性といいながらも、その個性とは市場化のための個性であって、利潤を追求するための営利のための個性なのだ。それ以外は、同質性を求める日本的社会がある。

それは「疑問を認識することた提起すること」を極端に排除する環境が日本にはある。それは職員室での雰囲気を感じればすぐにわかることだ。つまり日本とは、「科学技術の力」はあるが、「科学の力」はないのである。「科学する」とは、徹底して物事の本質や根底に疑問を認識するから始まっていることは周知の事実だ。技術とは応用編なのだから。根本から見つめなおす力ではない。こうしたことが弱体化していることは、万能細胞に沸き返る現在の状況と異なって、将来の貧弱な日本の想像力の世界を作り出していくに違いない。貧弱な教育世界の想像力と創造性によって・・・・・・・・

哲学とは難しい学問ではない。哲学とは生き物を存在をなぜ愛するのか、人間をなぜ愛するのか、その存在理由を見つける生き方のことだ。




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